AIキャラの画像を作ってみて、思い至ったことがある。
データを増やせば増やすほど
何かがズレていくんだ。
この感覚は僕にとって馴染みきってしまっているものでもある。
僕が人と会話していて思うのはある種の文化の違い。
同じ日本語を母国語としているのに、どこか違う言語のような違和感があるのだ。
たぶん表面的には同じ意味なのだけれど、
深掘りすればするほど会話がすれ違っていく。
まるで土台そのものが違うみたいに。
僕は言語に対する感受性が高いそうで、それはWAISの結果にも出ている。
それが原因なのか?
違う気がする。
だったらある程度成長して言語を獲得してからこの感覚になるはずだもの。
幼い僕に対して大人は
「何で分からないの」と怒った。
「何故分からないのか」を説明するにはより高度な言語能力が必要になるわけで、それは無茶な話だ。
今思うと「何故分からないのか」は
大人が子どもに対して理解を促すべく考えるべきことで、
それを子どもに要求するのは
全くもって筋違いである。
幼少期の記憶
大人が指を2本両手に差し出して
「に たす に は いくつ?」
と尋ねる。
「に」?😲?
✌️
「に」ってなんだろう?😲?
僕の目の前に差し出されているのは
「カニさん🦀」を象徴するサインだ。
そのうち大人はイライラしだす。
にたす には よん、でしょ!
と両手に「カニさん」を示して怒る。
幼い僕には訳が分からない。
「カニさん」が両手にあると「よん」なのか?
とりあえず僕は「よん」と答える。
すると今度は「✌️」と「✋」を差し出して
「に たす ご は いくつ?」とくる。
ええと……
カニさん🦀と、お皿🍽️?
…は……何になるんだろう?😵💫
既に✌️=🦀と覚えさせているのだから混乱するのも無理はない。
大人は指の本数を示し
僕はその象徴を模索する
思考の土台からしてもう、違っているのだ。
小学校に上がってもそれは同じ。
何故か会話が噛み合わない。
その感覚は成長すると軽減するどころか、
ますます違和感は大きくなっていった。
周囲の人と会話していても
何かがどこかが違うのだ。
「どうしてそうなるの?」
と問われて僕が説明すると
今度は屁理屈と断罪される。
もっと素直になれと。
そのうち僕は疲れてしまって、
人と会話する時には「自分の言葉」を心の奥へ追いやるようになった。
コミュニケーションの基本ではあるが、相手に伝わることが重要なのだ。
そして僕は……
人といることで自分でいられなくなった。
※ この記事は過去記事を再編成したものです ※
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